2020年1月号
特集
自律自助
インタビュー②
  • 全盲のヨットマン岩本光弘

自分の内なる
無限の潜在能力を信じ抜け

全盲の身でヨットを操り、太平洋横断という快挙を成し遂げた岩本光弘氏。試しに目を閉じて視界を遮断してみてほしい。それがどれほど途轍もない偉業であるかが実感できるだろう。かつて光を失い、夢を打ち砕かれ、絶望の底に沈んでいた岩本氏が、人生を大転換させ、夢を実現するまでの道のりを振り返っていただいた。

この記事は約14分でお読みいただけます

55日間ノンストップで太平洋を横断

——岩本さんは2019年4月、全盲のハンディを乗り越えてヨットによる太平洋横断を成し遂げられ、大きな話題になりましたね。

2月24日にアメリカのサンディエゴを出発して55日間、1万3,000キロをノンストップで航海し、4月20日に福島県の小名浜おなはま港に到着しました。僕のように全盲でヨットを操る「ブラインドセーリング」での無寄港太平洋横断は、世界で初めてなんです。

——目が見えないにもかかわらず、大海に乗り出していかれた勇気に感服させられます。

太平洋の真ん中には、ぶつかるものは何もありませんからね(笑)。地上で車の運転手は務まりませんけど、大海では大きなヨットも思い切って操れるんです。

——何を手掛かりにヨットを操るのですか。

もちろん情報機器も活用し、健常者の米国人男性とペアでの航海でしたが、一番大事なのは自分の五感です。例えば風の向き。さっきまで前から受けていた風をいまは右から受けている。ヨットの進行方向が少し左にズレたようだから戻そうと。それから太陽の暖かさ。進行方向からすると、前から暖かさが来なきゃいけないのにちょっと右から来ている。かじを左に切り過ぎているから右に戻そうと。
無事に福島へ着いた時、舟から投げるもやいを受け取ってもらったのは、86歳になる母親でした。母親には、僕の目が見えなくなった時に「こんなことなら、生まれてこなければよかった」「何で俺を産んだんだ!」とひどい言葉をぶつけてしまったことがありました。僕はそのことを後悔して、ずっと心の重荷になっていたんです。今回、全盲のハンディを乗り越えて横断を果たし、母親に喜んでもらえたことで、ようやくその重荷を降ろすことができました。

全盲のヨットマン

岩本光弘

いわもと・みつひろ

昭和41年熊本県生まれ。幼少期は弱視だったが16歳で全盲となる。筑波大学理療科教員養成施設に進学し、在学中アメリカ・サンフランシスコ州立大学に留学。筑波大学附属盲学校鍼灸手技療法科で教員として勤務。平成25年ヨットにて太平洋横断に挑戦するも、トラブルが発生し断念。平成31年4月に全盲セーラーとして世界初の太平洋横断に成功。令和元年「第12回海洋立国推進功労者表彰」(内閣総理大臣表彰)。著書に『見えないからこそ見えた光』(ユサブル)がある。