2016年7月号
特集
腹中書あり
我が人生の腹中の書④
  • 国立研究開発法人科学技術振興機構理事長濵口道成

上善水のごとし

ウイルスやがん遺伝子研究の第一人者として、数々の優れた業績を残し、現在は日本の科学技術のイノベーション創出をサポートする国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)理事長の要職を担う濵口道成氏。洋の東西を問わず、幼少期から様々な古典に親しんできた濵口氏に、困難の連続だった研究者人生を導いてくれたという『老子』の教え、古典を読むことの大切さについて語っていただいた。

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自分の名前の由来となった中国古典『老子』

私は昭和26年、明治時代から四代続く医師の家に生まれました。両親は明治の生まれで、子供の頃から、日常的に漢籍や古典の名句などを聞かされて育ったのですが、もしかすると、私はそのような教育を受けた最後の世代だといえるかもしれません。

特に母は、私のために文学全集やノンフィクション全集を毎月取り寄せてくれ、書棚には夏目漱石や森鴎外などの全集が並べてありました。また、小学4年生頃からは、微生物学を確立したパスツールなど、研究者の伝記も読むようになりましたが、この読書経験は後に大学院でウイルス学を専攻する基になったように思います。

これらの書とともに、若い頃から深く影響を受け、後の人生の糧となってきたものに、中国古典の『老子』があります。実は私の名前である「道成」は、父が好きだった『老子』の言葉、「道の道とす可きは、常の道に非ず」(第1章)から名づけられたものなのです。

この「常の道」とは、『論語』の教えを指すとされています。『論語』が正しいといっている生き方を、『老子』は「常の道に非ず」、それは違うのではないかと否定的に捉えているのです。しかし、「道の道とす可きは常の道に非ず」を私なりに現代的な意味で咀嚼すると、詩人・高村光太郎の『道程』の中にある「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という言葉を思い浮かべます。

また、『老子』第8章には、

「上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し」
という一節があります。水は万物を潤し、争うことなくどんな環境にも変化、適応しながら、高い所から人々が嫌がる低い所へと謙虚に流れ、集まっていく──。『老子』は、その水のように、変幻自在に己を変え、争うことなく低きを求め、周囲を潤し、生きていくことこそ、人間にとって最高の善だと教えていると思います。

それから、第22章にある「曲なれば則ち全く、(中略)少なければ則ち得、多ければ則ち惑う。是を以て聖人は、一を抱いて天下の式と為る」の一節も、印象深い教えです。「曲なれば則ち全く」とは、真っ直ぐ伸びた樹木よりも、曲がりくねった樹木のほうが自然の存在として完全であるという意味だと思います。「少なければ則ち得、多ければ則ち惑う」とは、お金でも地位でも、少ないが故に深い体験と実感をもたらし、多すぎるが故に迷いをもたらすことを意味しているのでしょう。

人は年を重ねるに従い、様々な迷いとしがらみの中で生きていかざるを得ず、人生の道程が見えなくなりがちです。しかし、その時改めて『老子』の言葉を思い起こせば、「己の内なる声に従い、もう少し進んでみようか」という気持ちを持つのではないでしょうか。

国立研究開発法人科学技術振興機構 理事長

濵口道成

はまぐち・みちなり

昭和26年三重県生まれ。55年名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。60年ロックフェラー大学分子腫瘍学講座研究員、平成5年名古屋大学医学部付属病態制御研究施設教授、17年名古屋大学大学院医学系研究科長・医学部長を経て、21年名古屋大学総長就任。27年より現職。