「日本の宇宙開発の父」と称えられる糸川英夫。糸川と常に行動をともにし、日本のロケット開発の礎を築いた人物が設計技術者の垣見恒男氏である。垣見氏は糸川に何を学び、何のノウハウもない中、師の思いをどのように実現していったのだろうか。
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垣見技術士事務所所長
垣見恒男
かきみ・つねお
昭和3年滋賀県生まれ。陸軍予科士官学校、東京大学工学部機械工学科を卒業した後、富士精密工業(現・IHIエアロスペース)に入社。以来、東京大学教授だった糸川英夫とともに日本初となるロケット開発に従事。「ペンシル」「カッパ」などのロケットを設計し、成功の一翼を担う