去る1月29日、弊誌「巻頭の言葉」でもお馴染みのアサヒビール社友・福地茂雄氏がお亡くなりになりました。享年89でした。
福地氏は、昭和9年福岡県生まれ。大学卒業後に入社したアサヒビールでは、主に営業畑を歩み、「惚れられるより惚れろ」を信条に顧客開拓に邁進。1999年に社長に就任すると、スーパードライで大躍進を遂げた同社の経営を盤石にしました。同社会長を経て、2008年からはNHK会長も務め、組織の立て直しに手腕を発揮しました。
『致知』に初めてご登場いただいたのは、アサヒビールの社長に就任して間もない1999年10月号のトップインタビューでした。以来、誌上で様々な分野の有力者とご対談を重ねていただくと共に、「巻頭の言葉」に2018年7月号から2023年12月号まで五年余りにわたってご寄稿いただきました。
経営の重責を担いつつも、温かい笑顔と柔らかい物腰が印象的だった福地氏。『致知』誌上では、豊富な体験と読書に裏打ちされた優れた見識を示していただき、人生や仕事の糧となる貴重な示唆を与え続けてくださいました。
福地氏はまた、弊社の周年行事で毎回発起人に名を連ねていただき、心温まるご祝辞を賜りました。昨年(2023年)の創刊45周年にいただいた最後のメッセージでは、次のように締め括っていただいています。
「いまこの変化の激しい時代にあって、これからも人間学、徳育を追求し続け、『致知』が『致知』であり続けることを私は信じています」
弊誌は、福地氏のこの言葉を心に刻み、一層の誌面充実に尽力する所存です。
生前の一方ならぬご厚情に篤く御礼申し上げますと共に、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
1月29日、福地さんの逝去の報を受けた時、悲しみと共に、薫陶を受けた様々なことが走馬灯のように頭をよぎりました。柔和な、全てを包み込むような、あの笑顔を見ることができないと思うと残念でなりません。
アサヒグループの経営における功績は、48年ぶりのビール系飲料トップシェアの獲得、焼酎やウィスキーなどの総合酒類化の推進、財務リストラ、コーポレートガバナンス改革など、枚挙にいとまがありません。その中でも、福地さんは「お客様満足」という信念を行動に移し、それをアサヒグループに根付かせてくれたことが、一番の功績だと私は思います。企業・放送・芸術と、それぞれ全く違う分野で活躍されましたが、「お客様満足」という信念を伴った行動に、本当にブレがない方でした。
そして、皆様ご存じのように福地さんは無類の読書家でもありました。読書に関する新聞連載などもされていましたが、そのジャンルの幅広さには驚かされました。ビジネス書、文芸書から世阿弥の『風姿花伝』まで。リベラルアーツの重要性が叫ばれるいま、その旺盛な知識欲に見習うべきことは多いと感じています。
私自身、経営者として大きな決断をする際、「変える勇気と変えない勇気」という福地さんの言葉に、それこそ「勇気」をいただきました。まだまだ教えていただきたいことがありましたが、それも叶いません。私たちにできることは、「変える勇気と変えない勇気」を持って、時代を切り拓いていくことだと思います。
福地さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。
故・福地茂雄様の訃報に接し、心より哀悼の意を捧げます。
福地様は、アサヒビールの社長及び会長、ならびにNHKの会長など、数々の要職を歴任され、日本の経済界及び放送業界の発展に対して、計り知れないほどの貢献をされました。
経営者としての福地様は、お客様満足を経営の原点にされ、「現場・現物・現実」という三現主義を軸に、常に価値創造を追求してこられました。福地様のご著書『お客様満足を求めて』は、経営を行う者として、私にとって大きな指針と学びを与えてくださった一書です。
2016年には『致知』誌面での対談を通じ、福地様の経営哲学と人に対する深い愛情に触れ、改めて大きな感銘を受けました。「信念を持って努力すれば、いずれ夢は実現する」との福地様のお言葉は、人生を豊かにするための普遍的な教訓であり、私自身もこの信条を胸に、当社の成長と従業員の幸せを追求する決意を新たにしました。この貴重な対談は、私にとってかけがえのない財産となっております。
福地様からいただいた教訓には、当社の経営はもちろんのこと、私個人の人生観にも大きな影響を受けました。この場をお借りして、心からの敬意と深い感謝の意を表します。
日本を代表する経営者として名を残された福地様のご功績と、温かなお人柄は、長く私たちの心に刻まれ続けることでしょう。改めて感謝すると共に、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。
致知出版社の新春特別講演会のシンポジウムや勉強会などで度々ご一緒させていただいていた福地茂雄さんが逝去されたと伺い、驚くと共に心からの哀悼の意を表します。
いつも物静かで穏やかな方というのが私の福地さんへの印象です。それでいて存在感を感じさせる方でした。
勉強会の時も講師の話に熱心に耳を傾けられ、皆の意見を静かに聞いた上で講師が最も伝えようとしたポイントとなる部分をご自身の言葉で伝えられていました。確信を持ってはっきりと語られるひと言ひと言が、穏やかな方だけにより心に響きました。皆さんも納得され、勉強会がより深まっていくのを感じたものです。
アサヒビールやNHKのトップを務められ、幅広くいろいろなことがお分かりになっているにも拘らず、そういう素振りを全く見せず、その学ばれる姿勢はいつも謙虚そのものでした。
おそらく大きな組織にあっても皆の意見を聞きながら物事を進め、ここぞという時には力強く決断を下されたことでしょう。だからこそ人は動いたのだと思います。
私はアサヒビールの発展に大きく貢献された元社長の樋口廣太郎さんご夫婦ととても親しく、それも福地さんとの共通の話題でした。友達感覚で樋口さんのことを話す私に、社長としての偉大さを強調されていたことが懐かしく思い出されます。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
福地先生とは、致知出版社とのご縁で、何度もお目にかかってお話をさせてもらってきました。福地先生の業績は、多くの皆様がご承知の通りであります。私がご縁をいただいた頃は、実に好々爺然としていらっしゃって、しかしながら、常に明晰に時代を見定め、厳しい意見もお示しくださっていました。功成り名遂げられた「人格者」でいらっしゃいました。
一度ご夫婦で円覚寺を訪ねたいと仰せになって、寺にお招きしたことがありました。円覚寺の境内をご案内し、国宝舎利殿にお詣りしてもらい、大書院においてご一緒にお昼をいただいたのは懐かしい思い出であります。
かつて福地先生が、
「岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる」
という甲斐和里子先生の和歌を示してくださったことがありました。先生にとって感慨深い和歌なのだと感じました。文字通り岩もあり、木の根もあったご生涯でありましょう。そんな激動の時代を生き抜かれたのだと思ったことでした。いまはただご冥福をお祈りします。合掌
言葉を選び、想いをのせて、書き続けた「巻頭の言葉」
この度「追悼の言葉」を寄せていただいた皆様、そして『致知』の「巻頭の言葉」を通して父の信条・想いに触れていただいた皆様に、遺族を代表して心よりお礼申し上げます。父は脳梗塞や喉頭がんを通して歩行や会話は不自由になりながらも、気丈にリハビリに取り組んでまいりましたが、今回は脳出血により緊急搬送から一日半で急逝いたしました。
私が父から「頼む」と依頼されたのは僅か3つ。その1つが「『致知』の『巻頭の言葉』を手書きするのでパソコンで清書してほしい」というものでした。唯一の趣味ともいえる読書(乱読)を通して言葉を選び、想いをのせて、常に幾つかの原稿を準備していました。
ここ数年は利き腕の右手は使えず左手で時間をかけて懸命に書いていましたが、徐々に象形文字のようになり、私が解読・推測して紙に落として「この意味は? これで良い?」と聞いたこと、父が「自分でも読めないな」と笑いながら一緒に校正を繰り返したことが思い出されます。
父の「巻頭の言葉」に寄せる想いは極めて強く、自身の生涯を振り返って、整理して遺す機会としているようにも感じておりました。
携わったすべての仕事を愛し、80歳を過ぎるまで働き、周囲に恵まれ盛り立てられ、とても幸せな人生だったと確信しております。父に賜りましたご厚情に衷心よりお礼申し上げます。
『致知』「巻頭の言葉」の執筆をご依頼するために、福地さんのご自宅へ伺ったのは、2018年春のことでした。「1年くらいの短期の連載なら」とお引き受けいただいたのですが、回を追うごとに取り上げられるテーマも多岐にわたり、経済人、文化人としての知見に裏打ちされた示唆に富んだ内容は大きな反響を呼びました。
脳梗塞を患われてからもご不自由な手で原稿用紙に向かわれ、結局、2023年12月号までの5年余りにわたって執筆を続けていただきました。
一昨年(2022年)秋、「これまでの連載を纏めて一冊の単行本にしたい」というご連絡をいただき、私どもも発刊に向けた準備を進めました。1月30日に完成予定の新刊『ビジネス人生で学んだ私の人生訓』(私家版)を真っ先にお届けできることを楽しみにしていただけに、完成を待たずして幽明境を異にしたことは残念の極みです。事前に表紙の装丁見本をお届けし、大変喜んでいただけたことがせめてもの慰めです。
福地さんとのご縁は、アサヒビールの先輩である中條高德さん(後のアサヒ飲料会長)の紹介によるものでした。最初に『致知』に登場いただいたのはアサヒビール社長就任から間もない1999年10月号。「勤勉の哲学」という特集テーマでトップインタビューを飾っていただきました。
その内容は文字通り福地さんの猛烈な仕事ぶりを物語るものでしたが、若い頃の心懸けとして語られた言葉で、いまも心に残る3つの言葉があります。
「会社の悪口を言わない」
「惚れる──仕事にも人にも」
「天職発想を持ち勤勉に働く」
この3つの姿勢を社長になってからも一貫して堅持してこられたことに深い感銘を受けたものでした。
創業110年の年に社長に就任した福地さんは、長年蓄積されてきた同社の債務を自分の代で整理しようと決断。3年の在任中、その仕事を見事に果たされました。温厚な人柄の中にある経営者としての使命感、本気度に触れてリーダーのあるべき姿を教えられる思いでした。
約30年の長きにわたりその謦咳に接してきた福地さんに改めて思いを馳せる時、『論語』の「徳は孤ならず。必ず鄰あり」という言葉が頭に浮かびます。
アサヒビール社長、会長を務められた後、請われてNHK会長、新国立劇場理事長などの要職を歴任されたのもそのご人徳のゆえでしょう。
晩年に賜った忘れられない言葉があります。2021年、弊社主催新春特別講演会でシンポジウムのパネリストとしてご登壇いただいた折、『致知』読者に新年に贈る言葉として、物理学者・佐治晴夫さんの次の言葉を挙げられました。
「あなたのこれまでがあなたのこれからを決めるのではない。あなたのこれからがあなたのこれまでを決める」
福地さんの人生観がこの短い言葉に象徴されているようで、とても感銘を受けました。私どもも賜った言葉を指針に新たな未来へと歩を進めることで、その大恩に報いていく所存です。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。