2025年5月号
特集
磨すれども磷がず
対談
  • あなたと健康料理教室 主任講師米澤佐枝子
  • 発酵生活研究家栗生隆子

病が
ひらいてくれた人生

「病が また一つの世界を ひらいてくれた 桃 咲く」。
詩人の坂村真民さんは、重い病の苦しみを経て、新たな心境に至った歓びをこう綴った。3人の子を抱え30代で突然の余命宣告を受けるも奇跡的に快復し、師に学んだ料理指南を続ける米澤佐枝子さん。14歳から20年も原因不明の不調に悩まされ、日本古来の発酵が持つ力に目覚めた栗生隆子さん。お二人は病をどう受け止め、与えられた生を愉しんでおられるのか。

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日々の「生活」が〝いのちの根っこ〟になる

米澤 初めまして! 栗生さん。会えて嬉しいわ。

栗生 はい、私もです。

米澤 対談のお話をいただいたから、栗生さんが書いた発酵はっこうの本を探したんだけれど、すごい人気ね。近くの本屋は全部売り切れ。だから私が料理教室をしている「あなたと健康社(あな健)」のスタッフに頼んで、YouTubeで動画をいろいろ見せてもらいました。

栗生 ありがとうございます。きょうはせっかくなので、私がお守り代わりにしている本を持ってきました。米澤先生が師事された東城百合子とうじょうゆりこ先生の『自然療法』です。

米澤 あら~! 東城先生のこと、ご存じなんだ。

栗生 はい。10代の時、原因不明の体調不良が始まって、薬で抑えていたんですけど、ある時まったく効かなくなってしまいました。そんな時にこの本で自然療法を知って。頼れるものが他になかったので、もう何度も読んで、助けられてきました。私のバイブルです。

米澤 そうだったの。嬉しいわ。

栗生 きょうは対談というより、その一番弟子の米澤先生のお話を聴く日と思って来ました(笑)。

米澤 こちらこそよ。東城先生が立ち上げた「あな健」に入社してもう45年になるかな。気がついたら83歳。教室がある月曜から土曜まで、毎日出ているの。

栗生 毎日ですか。教室にはどんな方がお見えになるのですか。

米澤 30代から80代まで、病人ばかりですね。約半分ががん患者さんです。こうげんびょうや重いアレルギーの方、後はリストカットしたことがあるとか、深刻な悩みを抱えた方も多いですね。
料理教室といっても、料理だけを学ぶところじゃないの。掃除・洗濯・料理、この3つを、「生活道」を教えているのね。一番大事なのは料理、食。そしてちゃんと洗濯をして、掃除をする。これが〝いのちの根っこ〟を養ってくれるんです。「あな健」には最初「がんになりました……」って下を向いて来る方が多いんですが、教室に通ううち「がんになっちゃって~」って上を向いて話せるようになる。心まで変わるんです。

栗生 生活が心を整えてくれますよね。私は、家庭の台所でできる「毎日の発酵」を実践、発信しているんです。例えば料理の後、野菜が半玉余る時があるじゃないですか。その食材は、冷蔵庫にただ入れておいたらしなびたり、腐ったりします。でも、塩を振って容器にふたしておけば、乳酸発酵が始まって保存が利く。食べたら乳酸菌がれる。無駄がありません。
年に一度、や漬物を仕込むのもいいですけれど、日々ちょこちょこできる発酵で食材を生かす、菌の力を借りる。これだけで生活が整い、健康になっていける。この日本の知恵を広めたいのです。

米澤 「生活が一番大事よ」、いまの日本には「生活」がない、って東城先生も言っておられました。生活をきちんとすることがすべての基盤だってことよね。

あなたと健康料理教室 主任講師

米澤佐枝子

よねざわ・さえこ

昭和17年静岡県生まれ。相模女子大学食物科で栄養学を専攻、卒業後は和洋中料理のコック修業。夫の赴任に伴いブラジル在住時に子宮がんで余命1年の宣告を受ける。58年自然療法の大家・東城百合子氏が立ち上げた「あなたと健康社」に入社、師事しながらがんを克服し、健康料理教室の講師を任される。近著に『病気になっても病人にならない生き方』(致知出版社)。

30代、幼子を抱え突然の余命宣告

米澤 ご覧の通り私はよくしゃべるでしょ? ずっとあちこち飛び回ってきたけど、昔は違ったんですよ。

栗生 そうなんですか?

米澤 実家は静岡の農家でね。未熟児で生まれたから、医者は早々に私を見放しました。
それでも、母が私を真綿にくるむようにして育てたの。外遊びはほとんどさせてもらえなくて、高価だった白砂糖を溶かして砂糖水をこしらえたり、ヤギのお乳を飲ませてくれたりしました。そんな母は私が5歳になった時、肺炎をこじらせて亡くなるんです。

栗生 ああ、そんなに早く……。

米澤 父もビルマで戦死していたから、明治生まれの祖母に育てられることになりました。これが肝のわった人だった。「このままだと死ぬか生きるか分からん。自由にのびのびやれ」って。言われた通り、川で泳いだり野山を駆け回ったり、のびのび遊ぶようになったら、いつの間にか体が丈夫になったのよ。自然人にしてもらえたおかげで、命が生きたの。
それから食べることが好きになって、小学校から帰ると自分でお味噌汁をつくるようになりました。小学生だから具材はでたらめよ。水と味噌を鍋に入れて、そこらにある煮干しを放り込んで畑で採った野菜を入れるだけ。それを野良仕事から戻ってきた祖母や姉、兄が食べて「お~佐枝子、うまいぞこの味噌汁」ってめてくれたんです。これが、私が料理の道に進む原点ですね。

栗生 一日働いた後で、手づくりの味がみたんでしょうね。

米澤 それから栄養学に興味が湧いて女子大に進んで資格を取り、コックの修業もしました。そうして28歳の時、JICAジャイカ(国際協力機構)に勤める夫の都合でブラジルに引っ越したんです。

栗生 全然環境が違う国に。

米澤 子供たちも一緒にね。ところが3年を過ぎた頃から貧血が続いて、顔には汗がき出しているのに足だけは異常に冷える。なかなか眠れなくなってきました。
最初は、日本と気候風土が違う国だからって深く考えずにいたけど、手の爪は異様にけやすくなってボロボロだし、大学生の頃に70キロあった体重が37キロくらいまで落ちてきた。最後は下腹部に焼かれるような激痛が走るようになって、検査を受けたの。
そうしたら、向こうでは日本の病院みたいに家族に伝えるなんてことはしないのね。面と向かって「末期の子宮がんです。余命は長くて一年」って宣告されました。

発酵生活研究家

栗生隆子

くりゅう・たかこ

昭和47年岐阜県生まれ。14歳の時から20年以上、原因不明の体調不良に悩まされるも、平成16年に冷え取り健康法に、17年に発酵食品に出逢い、病を完治。以来、発酵を取り入れた生活の研究や執筆、講演活動に精力的に取り組む。著書に『発酵生活で新しい私に生まれ変わる』(ヒカルランド)『不調知らずのからだになるここからはじめる発酵食』(家の光協会)など多数。