2025年2月号
特集
2050年の日本を考える
対談
  • 東京大学名誉教授月尾嘉男
  • YRPユビキタス・ネットワーキング研究所所長坂村 健

日本の技術に
未来はあるか

小惑星探査機「はやぶさ」や自動車のエンジン制御、プリンタやカーナビ、スマートフォンまで、様々な電子機器に組み込まれ、世界の産業を支える純国産OS(オペレーティングシステム)のTRON(トロン)。その開発者である坂村 健氏と、科学技術をはじめ様々な分野に深い知見を持つ月尾嘉男氏に、日進月歩の技術革新のいま、日本が直面する危機的現状と共に、将来訪れる未来社会に向けて、国が採るべき方策、一人ひとりに求められる生き方について語り合っていただいた。

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気心知れた先輩・後輩の間柄

坂村 月尾さん、ご無沙汰しております。失礼ながら思っていた以上にお元気そうで、全然お変わりありませんね。むしろ年下の私のほうが弱ってきている(笑)。

月尾 坂村さんとは長年の付き合いですが、最初にどこで出会ったのか、よく覚えていないのです。私が東京大学から名古屋大学に移ったのが1976年。坂村さんが慶應義塾大学大学院を卒業して東大に来たのが1979年で、すれ違いですから、おそらく大学ではなかったと思います。

坂村 私も最初の出会いは忘れましたが、大学ではなくて、共通の知人を通じていろいろな場所でお会いしたのがご縁の始まりだったと思います。とにかく、月尾さんのことは大学の大先輩として早くから存じ上げていて、すごい人というか、普通の学者ではなかった。
印象的なエピソードはたくさんありますけれども、例えば、月尾さんが仕事の関係で東大と名大を行き来されていた時、新幹線を使っていると思いきや、車で行ったり来たりしていると伺って本当に驚嘆しました(笑)。

月尾 その頃、静岡の伊豆に住んでいたのですが、私は車の免許を持っていないので、実際に運転してくれていたのは妻でした。

坂村 それにしても、東京と名古屋を毎回車で移動するというのは普通ではありません。また高知県でシンポジウムを開催するから来ないかとお声掛けをいただいた時も、会場に月尾さんの姿が見当たらない。最後にお会いできたと思ったら「いままで四万十川しまんとがわでカヌーに乗っていた」とおっしゃるので、なんですか? って聞き返したのをいまも覚えています(笑)。
また、私の書いた論文が学会から賞を受賞した時には、「こんな賞を一個もらったくらいで喜んでいてはだめだ。もっと頑張れ!」と励ましていただいた。
ですから、ああ、普通のことをやっていてはだめなんだ、満足せずどんどんやり続けなくてはいけないのだと思うようになったのは、間違いなく型破りな月尾さんの影響です。この姿勢は、いまも研究者として大切にしています。

東京大学名誉教授

月尾嘉男

つきお・よしお

昭和17年愛知県生まれ。40年東京大学工学部卒業。46年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。53年工学博士(東京大学)。都市システム研究所所長、名古屋大学教授、東京大学教授などを経て平成15年東京大学名誉教授。その間、総務省総務審議官を務める。『日本が世界地図から消滅しないための戦略』(致知出版社)『AIに使われる人AIを使いこなす人 情報革命に淘汰されないための21の視点』(モラロジー道徳教育財団)など著書多数。

世界が認めた国産OS「トロン」

月尾 私が坂村さんを尊敬しているのは、何といっても学問的業績です。これはぜひ多くの日本人に知ってもらいたいことです。
坂村さんが開発した純国産OS「トロン」は、小惑星探査機「はやぶさ」やH2Aロケット、自動車のエンジンをはじめ、カーナビ、プリンタや複合機、デジタルカメラ、スマートフォンに至るまで、様々な電子機器の内部に組み込まれていて、いまや世界の産業にとって不可欠な技術になっています。
しかも、坂村さんはご自身で開発したトロンの技術を特許などで囲い込まずに、世界の誰もが使えるようにオープンにした。そこが坂村さんのすごいところです。

坂村 後から詳しく触れますけれども、技術をクローズにせずオープンにしたことが、結果的にトロンが発展・普及していく上で大きな原動力になりました。いまのAIの急速な発展もそうですが、技術をオープンにすることで多くの人の知見を得られただけではなく、世界の多くの人に活用してもらえるようになったのです。

月尾 私が嬉しかったのは、2023年に電気・情報工学分野における世界最大の学術研究団体IEEE(米国電気電子学会)により、トロンが「IEEEマイルストーン」に認定されたことです。
IEEEマイルストーンは、電気・電子分野の画期的イノベーションの中で、少なくとも公開から25年以上経過し、社会や産業の発展に大きな貢献を果たした技術に対して、その歴史的業績を認定する制度です。日本ではあまり知られていませんが、IEEEマイルストーンへの認定は日本が誇るべきことであり、ノーベル賞にも匹敵する快挙だと思います。

坂村 2024年の12月でトロンの開発、トロンプロジェクトが始まってから40周年の節目を迎えました。長きにわたる取り組みが評価されたことは、本当に嬉しいですね。東京大学の関係としても初めての認定だったようです。

月尾 それは知りませんでしたが、それだけ認定されるのが難しいということです。

坂村 IEEEマイルストーンの認定が難しいのは、論文が評価されるだけではだめで、その技術が実際に産業界で使われ、成功していなければならない点です。月尾さんがおっしゃったように、いまトロンは、世界の様々な電子機器の内部に組み込まれ、いろいろな重要な処理を行っています。組み込み型のOSとしては、世界シェア60%くらいです。
ですから、これまで何百何千という企業がトロンを活用し、エビデンスを出してくださったからこその認定です。それにトロンプロジェクトは、政府の援助を受けていない民間主体の取り組みですから、協力してくださった企業には、一社一社、感謝の思いを伝えて回りたいくらいです。

月尾 トロンは原理的な研究に留まらず、実際の産業に応用されている。その点で、世界に対する貢献は非常に大きいものがあります。しかし、当初、日本政府はあまり注目していませんでした。
私が2002年から2003年に総務省総務審議官を務めていた時期に役所としてトロンを表彰しましたが、民間主体で頑張っていた坂村さんからは、あまり感謝されませんでした(笑)。

坂村 いや、そんなことはありませんよ(笑)。あの時から総務省の方々も「何か協力できることはありませんか」とトロンに注目してくださるようになりました。

YRPユビキタス・ネットワーキング研究所所長

坂村 健

さかむら・けん

昭和26年東京都生まれ。54年慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。東京大学教授を経て平成29年東京大学名誉教授。平成14年YRPユビキタス・ネットワーキング研究所所長。29年INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長を経て令和6年INIADcHUB機構長。平成15年紫綬褒章、18年日本学士院賞、27年ITU 150 Awards受賞。令和5年IEEE Masaru Ibuka Consumer Technology Award受賞、「TRONリアルタイムOS ファミリー」 がIEEE Milestone 認定。6年「瑞宝中綬章」受章、「トロン電脳住宅」 がIEEE Milestone 認定。『DXとは何か』(角川新書)など著書多数。