2026年5月号
特集
人を育てる
対談
  • ぺんぎん村水泳教室代表伊藤裕子
  • パリ2024パラリンピック水泳男子金メダリスト鈴木孝幸

困難を踏み越えて
人は育つ

静岡県浜松市。大海原に面し、水泳の盛んなこの町で、稀有な出逢いを果たしたお二人がいる。障がいや発達特性への理解が乏しかった30数年前から、そうした子供を多く受け入れてきた「ぺんぎん村水泳教室」代表の伊藤裕子さん。1,000人以上の生徒を輩出するこの教室を巣立ち、先天性四肢欠損の水泳選手として、北京・東京・パリのパラリンピックで金メダルに輝いた鈴木孝幸選手。水の中で育まれた絆の軌跡を振り返っていただいた。
【写真(左)提供=朝日新聞社】

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    ぺんぎん村水泳教室代表

    伊藤裕子

    いとう・ゆうこ

    昭和37年岐阜県生まれ。短大卒業後、幼稚園教諭、複数の民間スイミングスクールでのインストラクターを経て平成4年、障がいのある子も健常の子も分け隔てなく受け入れる「ぺんぎん村水泳教室」を浜松市内の市民プールに開設する。9年中日新聞教育賞受賞。令和3年文部科学大臣表彰受賞。

    パリ2024パラリンピック水泳男子金メダリスト

    鈴木孝幸

    すずき・たかゆき

    昭和62年静岡県に先天性四肢欠損で生まれる。平成16年17歳でアテネパラリンピック出場、初の銀メダル。北京大会以降、日本選手団競泳チームの主将を三度務める。25年より英国留学。同大学院博士課程でも学問を深める。令和3年紫綬褒章受章。ゴールドウイン所属。これまでパラリンピック6大会に連続出場し、通算メダル獲得数は14。

    地元・浜松の市民プールの片隅から

    伊藤 きょうはよろしくお願いします。あなたのことは昔からタカちゃんって呼んでいるから、こうして改まると何て呼んだらいいのか(笑)。

    鈴木 何でも大丈夫ですよ。

    伊藤 じゃあ、孝幸君で。出逢ったのは、私が「ぺんぎん村水泳教室」を始めて2年目に入る頃でした。まだ6歳だったから、抱っこして水に入れたのよね。
    もう30数年が経ちますけど、この間のパリパラリンピックでは金を含めて4つもメダルを獲得して、こんな世界的な選手になるなんて想像していませんでした。今年(2026年)のアジアパラも出るの?

    鈴木 今年のアジアパラ競技大会は、せっかくの日本開催でもあるので、いまはこの大会の出場を一番の目標にトレーニングしています。もっとも年齢を重ねてきた分、泳ぎで酷使する肩を中心に、体を痛めないことを第一に考え、メンテナンスの比重を上げています。
    それと並行して、所属企業のゴールドウインでは、パラスポーツの支援事業に携わっています。まあ、支援と言いつつ、僕の様々な活動を業務と認めてもらっている形なので、むしろ日々支えていただきながら水泳を続けている、というのが本音ですね。

    伊藤 孝幸君のトレーニング風景、あと料理の動画なんかも、よく見ていますよ。

    鈴木 正直、水泳でここまで来るなんてまったく思っていなかったです。
    伊藤コーチに出逢って30年と聞いて思うのは、これだけ多様性が叫ばれているいまでも、障がいのある子がスポーツ施設の入会を断られることはあるんですよ。誰が悪いという話ではなくて、いまだにそうなのに、ぺんぎん村は30年以上前から障がい者にも門を開いてくれていた。それは、僕がキャリアを積んでいく第一歩として非常に重要なことでしたし、感謝しています。

    指の大怪我と水の中の気づき

    伊藤 ぺんぎん村は当時からいままで、浜松の市民プールで活動しています。生徒さんが120人くらいに増えた頃から、市内3か所のプールを拠点に、月~土曜日は毎日どこかで教室を開いています。
    孝幸君の活躍を嬉しく見ながら、「人を育てる」というテーマを受けて私が一番に感じたのは、自分が育てているんじゃなくて、育てられているのは自分だな、ということです。私は、大切なことはすべて、ぺんぎん村の子供たちから学んできました。
    実は、私が生まれた岐阜の実家は音楽一家でね。物心つく前からピアノの前に座っている、そんな環境で育ちました。

    鈴木 そこからどうして水泳に?

    伊藤 中学2年の時、貯金箱を包丁のつかで割ろうとして、左親指を切り落としかける大をして。手術で何とか治ったけれど、指がつるようになって、音楽の道はあきらめざるを得なくなりました。
    しかも、当時の私は低血圧で、学校の朝礼でよくバタッと倒れてしまう子供でした。そんな時、お医者さんから「横になるスポーツがいいんじゃないか」と言われて、水泳に挑戦したんです。

    鈴木 それがきっかけで。

    伊藤 そう。いいコーチに恵まれて、中学2年から始めてたった2年、高校時代に競泳の東海大会まで出られちゃった。水泳はちゃんとやれば記録が伸びる競技なんだ、って思いました。でもそれ以上に大きかったのは、低血圧で倒れなくなったこと。体力がついたんですね。「あっ、水の中ってすごい」と気づいたのはこの時です。
    大阪の短大を卒業して勤めた幼稚園が、偶然スイミングスクールを始めることになり、職員募集に一番に手を挙げました。これがインストラクターとしての第一歩。それから一度岐阜に戻り、浜松に来てもう35年以上、水から上がっていません(笑)。