2020年1月号
特集
自律自助
対談
  • (左)ジャーナリスト櫻井よしこ
  • (右)元陸上自衛隊西部方面総監番匠幸一郎

この国難にどう向き合うか

「国難ついに来たれり」。ジャーナリストの櫻井よしこさんと、陸上自衛隊元西部方面総監・番匠幸一郎氏は共に、対談中、この言葉を強調した。日本を取り巻く情勢がかつてない緊張状態にあるいま、この国難にどう対峙すべきなのだろうか。お二人の話から見えてくるのは、自律自助の精神に立脚した、これからの国のあり方である。

この記事は約28分でお読みいただけます

外国軍をも感動させた自衛隊のイラク復興支援

番匠 櫻井先生の対談のお相手を務めさせていただけるということで、こんなに光栄なことはありません。

櫻井 こちらこそ感謝しています。番匠さんのことは早くから存じ上げておりましたけれども、ちょうどイラクのサマーワに行かれる直前に北海道の旭川駐屯地にお邪魔させていただきました。冬のとても寒い時で、番匠さんからイラクに派遣されるに当たってのいろいろな話をお聞きしたり、隊員の皆さんにお目に掛かったりしましたが、群長の番匠さんのもと、皆さんが一致団結されている姿は実に素晴らしいものでした。

番匠 先生にお越しいただいたのは平成16年2月、サマーワへの出発前に開いた家族説明会の場でした。若い隊員や女性隊員、それに隊員の家族にも温かく声を掛けていただき、皆とても感激していました。小さい子供を抱えた隊員の奥様方への「心配かもしれないけど、大丈夫ですよ」というひと言がどれだけ大きな励みになったか分かりません。

櫻井 そう言っていただけると私も嬉しいです。幹部の方を含めてお夕飯をいただいた時、とても大きなエビフライが2つも3つも出てきたのには驚きました。食べきれないと思って、若い隊員さんに召し上がっていただきました。そんなこともありましたね(笑)。

番匠 彼は櫻井先生からエビフライをもらったと、ずっと喜んでいましたよ(笑)。その彼もイラクから帰国してきてすぐに結婚し、いまでは中学生の男の子2人の父親です。月日が経つのは早いもので、あれから15年になります。

当時海外の軍隊から絶賛されたイラク南部サマーワの陸上自衛隊宿営地の全景ⓒ時事/陸上幕僚監部提供

櫻井 番匠さんはイラク戦争後の復興支援のために600人の隊員を率いてサマーワにおもむかれたわけですが、焼けつくような劣悪な環境の中で公共施設の復旧整備や医療、給水の支援など黙々と任務を果たす隊員の皆さんの姿は、共に復興支援に当たる外国軍をも感動させたとお聞きしています。

番匠 我われとしては人を感動させようという意識はまったくありませんでした。そう感じられたとしたらやはり自衛隊という以前に日本の持つ底力のためでしょう。非常に誠実で個々の能力が高く、規律正しい。もちろん自立心もある。これは世界に冠たる日本人の美徳です。自衛官たちは海外でも日本にいる時と同じように行動していたわけで、そこを評価していただいたのだと思います。
私がサマーワにいてつくづく感じたのが、日本の歴史に対する海外の人たちの敬意でした。「日露戦争で戦って勝利した日本人を、同じアジア人として誇りに思う」という言葉を多くの人たちから聞きました。

櫻井 それはすごいことですね。

番匠 我われがサマーワにいる時が日露戦争100年の節目でしたが、多くの日本人が忘れかけている歴史をサマーワの人たちが口にしたのには驚きましたね。それから彼らは先の大戦のこともよく話題に出しました。「アメリカと戦って負けた日本が、よく世界第2位(当時)の経済大国にまで発展し世界のリーダーになっている。どうしたら我われも日本みたいになれるのだろうか」と。
戦後、多くの企業関係者がイラクに行っていますが、そこでも誠実で規律正しい仕事ぶりが尊敬されているんです。私たちの活動が評価いただけたのは、そういう日本の先輩方の努力と実績の積み上げがあったからだと思います。

元陸上自衛隊西部方面総監

番匠幸一郎

ばんしょう・こういちろう

昭和33年鹿児島県生まれ。55年防衛大学校卒業。平成12年米国陸軍戦略大学卒業。第三普通科連隊長兼名寄駐屯地司令、第一次イラク復興支援群長、幹部候補生学校長、陸上幕僚監部防衛部長、第三師団長、陸上幕僚副長、西部方面総監などを歴任し、平成27年退官。平成30年まで国家安全保障局顧問。現在は丸紅顧問の他、全日本銃剣道連盟会長を務める。

ライオンがロバの仕事をしている

櫻井 日本らしさがかなり薄まってきている社会の中で、それがいま一番色濃く残っているのが自衛隊です。私が掛け値なしに思うのは、現在の日本は経済人も学者もそれぞれの分野で頑張っているんだけど、自衛隊がなかったら日本はどうなっていただろうか、ということなんです。
日本国内で自衛隊がどういう活動をしていて、部隊内でどういう生活をしているか、残念ながら多くの日本人がそのことを知らないし、注目もされない。でもサマーワでは、例えば駐車場の車両が一センチもたがわずにビシッと止められている様子に他国の軍の人たちの誰もが驚くわけですね。

番匠 我われとしては日本にいる時と同じやり方をしていただけですが、一つ思ったのがこれは軍隊のオリンピックだということでした。サマーワには40近くの国々が来ていて、それぞれ任務も規模も違います。
我われはそこに共通する士気、規律という部分で世界一になろうと考えました。日頃の勤務態度にしても整理整頓にしても地元の人たちへの接し方にしても、そのすべてに手を抜かず日本にいる時と同じようにやっていれば、金メダルがとれるのではないかと。誰も金メダルをくれたりはしませんでしたが(笑)、私たちはそういう思いでやってきたんです。

櫻井 自衛隊の規律や行動規範はサマーワに行った時も同じだったとのことですが、軍隊オリンピックだと思って、やはり日本にいる時以上にビシッとされたのですか。

番匠 日本と同じです。

櫻井 なるほど。特別にサマーワだから、ということではなかったのですね。

番匠 宿営地づくりも日本の延長線上だという気持ちでやっていました。ふかふかの土漠を砂利で固めて、東京ドームがいくつも入るような広大な土地に全くゼロの状態から施設をつくるわけですが、どうしたら外敵から守れるか、600人の居住スペースや食堂、風呂、指揮所、整備工場などをいかに機能的に配置するかということを常に考えなくてはいけません。当然電気やコンピュータの回線や、上下水道の整備も必要になります。
これらをわずか1か月そこらでつくっていくのですから、周囲からは「日本の自衛隊は短期間でよくこれだけのものをつくった」という賞賛の声が挙がり、イラクのモデル駐屯地として多くの人たちが見に来られるようになりました。

第1次イラク復興支援群長として、子供たちに文房具セットを手渡す番匠幸一郎氏ⓒ時事

櫻井 イラク戦争が終わったとはいえ、外敵にいつ襲われるかも分からないわけですから、部隊を守る体制はとても重要ですね。

番匠 ええ。治安情勢にはまだまだ不安定なところが残っていましたし、実際、我われが行っている時、北部のファルージャで大きな戦いがありました。だから私はいつも隊員たちに「ロバかライオンか」と問い掛けてきたんです。
私たちがイラクでやったのはロバの仕事です。黙々と汗をかく仕事です。ところが、治安情勢の悪化などを考えると、ロバがロバのままでいることはできません。ライオンの仕事を求められた場合には、それに対応する力を持たなくてはいけない。ロバにはライオンの仕事はできませんが、ライオンにはロバの仕事ができる。つまり「ライオンがロバの仕事をしている」というのがイラクにおける我われ自衛官のコンセプトでした。

ジャーナリスト

櫻井よしこ

さくらい・よしこ

ベトナム生まれ。ハワイ州立大学歴史学部卒業後、「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局勤務。日本テレビニュースキャスター等を経て、現在はフリージャーナリスト。平成19年「国家基本問題研究所」を設立し、理事長に就任。23年日本再生に向けた精力的な言論活動が評価され、第26回正論大賞受賞。24年インターネット配信の「言論テレビ」創設、若い世代への情報発信に取り組む。近著に『韓国壊乱 文在寅政権に何が起きているのか』(PHP新書)など多数。