2016年7月号
特集
腹中書あり
対談
  • 尾道高等学校硬式野球部監督北須賀俊彰
  • 関西学院大学体育会サッカー部監督成山一郎

真の活学が
チームを変えた

『致知』をテキストに1か月1回、全社員で共に学び合う社内木鶏会の実践によって、会社が大きく変わった事例は多い。その社内木鶏会にヒントを得て、学校の中で学内木鶏会を実施し、確かな成果を上げている人がいる。尾道高等学校野球部監督の北須賀俊彰氏と関西学院大学体育会サッカー部監督の成山一郎氏である。お二人はなぜ学内木鶏会を始めたのか。そしてその結果、学生たちはどう変わったのか。その実践録をここに語っていただいた。それはそのまま腹中に書を持つことの大事さを実証して余りある。

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4タイトルを獲得

北須賀 私が監督を務める尾道高等学校野球部では、2年前から木鶏会に取り組んできました。最初は高校生でもできるだろうかという心配はありましたけど、生徒たちを見ていると確実に変わってきたなということを実感していて、やってよかったなと思っています。
成山監督も指導の一環として初めて大学で木鶏会を取り入れられ、目覚ましい成果を上げられたそうで、きょうはお会いできるのを楽しみにしていました。

成山 私のほうこそ北須賀監督が高校の野球部で木鶏会を取り入れた指導をされているとお聞きして、こうしてお話しできるのをとても楽しみにしてきました。

北須賀 木鶏会を始められて、どのくらいになりますか。

成山 僕は7年前に監督に就任し、木鶏会を導入してからは3年経ちましたが、その僅かな期間でチームは劇的に変わりました。

北須賀 私は監督就任後13年が経ちますが、本格的に木鶏会を導入してから2年が経ったいま、生徒の変化には本当に驚くものがあります。実績としてうちのチームはまだまだですが、成山監督率いる関西学院大学(以下関学)サッカー部は目覚ましい成果を上げておられますね。

成山 おかげさまで昨年(2015年)は、関学サッカー部98年の歴史始まって以来、初めて総理大臣杯と全日本大学サッカー選手権で優勝することができました。

北須賀 並み居る強豪を破られて、それはすごいことですね。

成山 ありがとうございます。さらに関西学生サッカーリーグと関西選手権を合わせて4つのタイトルを同時に取れたのですが、これは関西学生サッカー連盟に所属するチームとしては30年ぶり、史上2校目だとお聞きしています。

北須賀 それはおめでとうございます。やはり成山監督の指導によるところが大きいと思うのですが、もともと指導者を志しておられたのですか。

成山 僕は小学校の頃からサッカーを始めて、ずっとプロサッカー選手になりたいと思っていましたが、残念ながら努力不足でプロになることはできませんでした。
それでもサッカーのことがものすごく好きだったので、関学卒業後もサッカーに関わる仕事をしたいと思い、アルバイト雑誌で見つけたコーチのアルバイトを始めたんです。
その後、Jリーグチームで指導に携わるなど経験を積んでいたのですが、29歳の時に関学サッカー部のOB会から人手が足りないのでコーチをやってくれないかと依頼を受けましてね。光栄なことだと思って快諾したところ、ちょうど同じタイミングで日本代表元監督の加茂周さんが監督に就任され、新体制のもとでコーチをやらせていただくことになりました。

北須賀 あぁ、加茂周さんのもとで?

成山 ええ。いま思えば、僕にとっては加茂周さんとの関学サッカー部で過ごした3年間がすべてでした。加茂さんは監督というよりは大将のような存在で、僕のために惜しげもなくそれまで経験してきたこと全部を教えようとしてくれたんです。

北須賀 何か心に残っている言葉はありますか。

成山 「指導者は鉄の意志を持て」ということを言われました。普段はすごく温厚なんですけど、これをやると決めたら絶対にやらせるんですよ。
夏の暑い日に学生たちが倒れそうになりながら練習メニューをこなしていた時に、「加茂さん、きょうはこの辺にしておいたほうがいいんじゃないでしょうか」って聞いたことがあるんです。そうしたら「いや、一回これと決めたらやり抜かなきゃいけない」って。一度決めたことは誰が何と言おうと変わらないんだということを示さなくちゃいけない。そういう鉄の意志が必要なんだと教えられたのをいまでも覚えています。
ですから木鶏会もやると決めてからは、毎月1回必ずやってきました(笑)。その加茂さんが丸3年で監督を退任された平成22年にバトンタッチされて、現在に至ります。

尾道高等学校硬式野球部監督

北須賀俊彰

きたすが・としあき

昭和44年広島県生まれ。広島商業高校時代に春夏連続で甲子園に出場。大阪体育大学卒業後、大昭和製紙北海道野球部に所属。平成7年柳ケ浦高等学校の野球部コーチに就任。15年尾道高等学校の野球部監督に就任し、現在に至る。

環境を言い訳にしない

北須賀 成山監督も小さい時からサッカー少年だったのですね。私も小学生から野球を始めて、広島商業高等学校では3年生の時に外野手として甲子園に春夏連続で出場しました。

成山 あぁ、甲子園に春夏連続で出場されたんですか。

北須賀 はい。大阪体育大学でも野球を続けて、卒業後には社会人野球を経験したいと思い、当時我喜屋優監督が指揮していた大昭和製紙北海道で2年間プレーしていました。私にとっては広島商業時代の川本監督と大昭和製紙北海道の監督だった我喜屋さんの影響がすべてでした。特に我喜屋さんからは、「環境を言い訳にしない」ということを教わりました。

成山 環境を言い訳にしない?

北須賀 チームの本拠地が北海道だったので、冬になると膝くらいまで雪が積もっている中を走り込んだり、狭い室内で基本練習をしたりしていたので、自分が指導者になってからも環境の悪さを言い訳にするようなことは一度たりともしてきませんでした。
それと大昭和製紙北海道には有名な選手は全然いなかったにもかかわらず、スター選手が揃っていた日本石油や東芝と互角に戦って勝っていたんです。なぜそれが可能だったかというと、道具の手入れの仕方一つとってもその取り組みに対する姿勢が全然違いました。もちろん練習も厳しくてね。
そうやって、我喜屋さんはいまいる選手でどう戦うかを常に考えておられたので、私も同じようにいまいる選手をどう育てて戦っていくかというスタンスでやらせていただいています。
その後、26歳の時に大分県にある柳ケ浦高等学校に赴任して7年半ほど指導に携わった後に、高校時代の校長先生にご縁を取り持っていただいたのが、いまの尾道高校でした。

関西学院大学体育会サッカー部監督

成山一郎

なりやま・いちろう

昭和52年岩手県生まれ。平成13年関西学院大学卒業。19年同大学のサッカー部コーチ、22年監督に就任する。27年関西学院大学として初となる、総理大臣杯、全日本大学サッカー選手権、関西学生サッカーリーグ、関西選手権の4タイトルで優勝に導く。