去る7月8日、元内閣総理大臣・安倍晋三氏が逝去されました。参院選を2日後に控えて赴いた遊説先で予想だにせぬ凶弾に倒れた安倍氏は、快復を願う国民の祈りも虚しく、運搬先の病院で息を引き取られました。享年67、あまりにも衝撃的なご最期でした。
2006年に戦後最年少で内閣総理大臣に就任した安倍氏は、2度にわたる政権を通じて、我が国から失われた自信と誇りを取り戻すために奔走されました。通算在任期間は憲政史上最長の3,188日。国民から高い支持を集めると共に、その卓越したリーダーシップで日本の存在感を世界にも示した希有なる政治家でした。
弊誌には2006年4月号、2011年8月号にご登場いただき、自らの政治信条を情熱を込めて語っていただきました。
我が国のために文字通り身命を賭してご尽力された生前のご功績を称え、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
安倍晋三元総理の訃報に接し、哀惜の念にたえません。
真の独立国家を目指して尽力された偉大な政治家であり、これからも一層のご活躍が期待されていただけに、突如としてその前途が断たれたことは誠に遺憾であり、私は未だ大きな喪失感を拭い切れずにおります。また、この度のことは日本社会の荒廃ぶりを象徴する出来事とも言え、人間学に基づく世の立て直しが急務であることを、改めて痛感した次第です。
安倍さんは、私にとっては一期先輩の衆議院議員であり、思想信条を同じくする同志でした。
戦後、我が国から失われた誇りと尊厳を取り戻さなければならない──。2006年、初めて自民党総裁選に出馬された安倍さんは、この政治信条を実現するために立ち上がり、日本の舵取りを担われました。
あいにく第1次政権は短命に終わりましたが、その後我が国は東日本大震災をはじめとする数々の試練に見舞われました。この国難には、やはり安倍晋三のような確固たる国家観と愛国心を持った人物こそが日本を導いていかねばならない。2012年、安倍さんは私たちの期待に応えて再び立ち上がり、再起は時期尚早という事前の予想を見事に覆して総裁に復帰。歴代最長の8年近くにもわたる長期政権を通じて、自らの政治信条実現のために戦い続け、国内はもとより、世界へも大きな足跡を残されました。
私は、安倍政権の下で官房副長官や文部科学大臣をはじめ、党の重職を歴任して安倍さんを支え続けました。第2次政権で教育再生担当大臣を兼任したのは、日本の再生には人づくりが極めて重要であり、内閣の重要課題として取り組むべきだという安倍さんの強い意向があってのことでした。
安倍さんがあれほどの長期政権を実現できた背景に、人に対する思いやりの心があったことを私は実感しています。私自身もその恩恵に与った一人ですが、安倍さんは折に触れ、周囲の人に温かい声をかけてくださる方でした。あの激務の中でもSNSのチェックは欠かさず、賛同する投稿には自ら「いいね!」やコメントもされていました。そうした日々のきめ細かな心配りが結果として人望の醸成にも繋がり、政権の基盤を支える熱烈な支持層が形成されていったのだと私は思います。
その人間的力量は、海外の政治家たちに対しても遺憾なく発揮されました。安倍さんが対峙した政治家は、アメリカのトランプ前大統領をはじめ、いずれも一筋縄ではいかない強烈な個性の持ち主ばかりでした。しかし、安倍さんは卓越した国家観や政治信条を背景に、粘り強い折衝ときめ細かな配慮を重ね、各国の首脳たちと深い信頼関係を築き、世界における日本のステータスを大きく向上させたのです。
個人的な思い出としては、安倍さんが第一次政権の後で野に下られていた頃、気心の知れた数人の仲間と共にインドを訪問したことです。安倍さんがその折のスピーチで提起された「自由で開かれたインド太平洋構想」は、増大する中国の脅威に対する自由主義陣営の指針として高い評価を受け、後にクアッド(日米豪印戦略対話)へと結実しました。安倍さんは、その優れた構想力とリーダーシップによって、かつてはアメリカへの追従が顕著であった日本の主体性と存在感を世界に示したのです。
告別式の挨拶で昭恵夫人は、安倍さんが蒔かれたたくさんの種が今後次々と芽吹いていくことに期待を寄せられました。安倍さんの遺志を継いで、その本懐であった憲法改正を実現していくこと。これこそが同志・安倍晋三の思いに報いることであり、政治家として課せられた私の天命と心得ています。
あの国難の時代に懸命に生きた人々のおかげで日本は世界に誇れる国になった。後世の人々からそう感謝していただける国づくりに今後とも身命を賭して取り組んでいくことを、私は亡き安倍元総理の御霊にお誓い申し上げます。
凶弾に斃れた安倍晋三元首相を悼む十分な言葉などない。非業の死は多くの国民にとって深い悲しみであり怒りである。日本国にとって、はかりしれない損失であり、暗殺を防げなかった国家としての脆弱さへの悔恨である。
安倍氏は日本国の危機の真っ只中を、切り裂くように疾走していた。岸田文雄氏の首相就任以降はとりわけ危機感を募らせた。安倍氏と菅義偉氏は幾度も支持率を大幅に下げながら、平和安全法制など国家機能を強化する法案を可決し、幾度も選挙を戦いながら日本国の土台をひとつまたひとつと改め、わが国が真の独立国に近づけるよう進んできた。
しかし、岸田氏は「非核三原則」「核なき世界」などのスローガンを掲げて、安倍氏の歩んできた道を逆戻りする兆しを見せている。安倍氏が全国遊説で政治信条を明らかにし、憲法改正、自衛力強化、経済力拡大などの問題提起を続けたのは、岸田氏へのメッセージだった。
日本をまともな民主主義の国にし、自力で自国を守れる国になろう、国の交戦権を憲法で否定する国など日本以外にあるのかと、安倍氏は問い続けた。米国に頼りきって安穏をむさぼり続けられると思うのか、それでよいのかと、日本人の自覚を促し続けた。
真っ当な主張を掲げて戦った安倍氏を、米国のリベラルメディアはおよそいつも非難した。しかし、最もリベラルなワシントンポスト紙でさえ、今、「安倍氏のレガシーを讃える」という社説を掲げ「米国と他の民主主義諸国は日本の軍事力を(憲法改正で)正当化することを支持すべきだ」と主張するに至った。
日本非難の先導者といってよいリベラル派日本研究者の代表、シーラ・スミス氏も「我々は(安倍氏を)過小評価してきた」と反省した。日本非難で安倍氏の前に立ちはだかってきた米国のリベラル派が遂に主張を変えた。変えざるを得なかったのである。
安倍氏は日本には珍しい大戦略家だった。政治家の責任と役割をわきまえていた。国家の方向を定め、戦略を構築することは政治家にしか出来ないと自覚し、官邸主導で決断した。他方、岸田氏は官僚による集団指導体制を是とし、国の方向性や大戦略さえ、官僚に任せかねない姿勢である。前例にこだわる官僚たちに激変する世界情勢下の指揮はとれないだろうに、岸田氏は政治家の存在意義を半ば以上忘れているのかのようだ。そのような岸田氏を危ぶみ、安倍氏は岸田氏に影響を及ぼし続けた。
安倍氏に最も深く喰い込んでいる政治ジャーナリスト、石橋文登氏が打ち明けた。
「安倍氏は今年(2022年)はじめ、盟友の麻生太郎氏に『あと3年生きたい』と語ったのです」
同発言は「台湾有事近し」を意識してのものだ。中国の習近平国家主席は今秋の全人代で、「終身皇帝路線」に具体的に踏み込む。毛沢東と並ぶ、或いは毛を超えるには、万人を納得させる功績が必要だ。それが台湾併合である。第3期、5年の間にこの大命題を成し遂げるとすれば5年の後半よりも前半のはずだ。
台湾有事は日本有事、日米同盟の有事だ。危機は、近い未来に迫っている。第3次世界大戦にエスカレートしない保障はない。烈しいせめぎ合いと戦いを覚悟しなければならない。この究極の危機に岸田氏は対応できるのか。恐らく無理だ。少なくとも安倍氏はそう危ぶんで、最悪の場合、自らの再々登板も考えていたと、石橋氏は打ち明ける。
わが国にとって最重要の問題は中国との関係をどう斬り結ぶのかである。西側自由主義陣営と中露北朝鮮など専制独裁国家群は、今価値観の戦いの真っ只中だ。日本も米国も敗北は許されない。なぜなら敗北はわが国が中国文明の世界に統合されていくことを意味するからだ。長い歴史を通してわが国はその歴史の大半を中国に位負けせずに、立派に日本の道を歩いてきた。それが如何に大事なことだったか、そのことの意味を誰よりもよく知っていたのが安倍氏だ。
歴史の中の日本の位置づけ、地球全体を巻き込む勢いで進行中の価値観の戦い。この双方を見てとって、備えを固めようと全力を注いだ優れた指導者を、日本は失った。私たちの責任は、安倍氏の考えを一人一人が受け継いでいくことだ。決意も新たに国防について考え、日本の価値観を正しく評価し、立派な日本人として、この悲劇を乗り越えていきたい。
安倍晋三氏は、保守論客の重鎮だった渡部昇一先生を大変尊敬し、その姿勢や考えに学んでおられました。渡部先生がご生前、安倍氏の功績について語られた文章をここに再掲いたします。
安倍首相の戦後70年談話を聞き終えた後、思わず快哉を叫びました。歴代内閣が続けてきた謝罪外交に遂に終止符を打つ瞬間が訪れた、と素直に思いました。
細かい分析をすれば十分ではない表現もあります。しかし、この首相談話はとても歴史的価値の高い内容となりました。日本の名誉回復の嚆矢であり、大いに賞賛し、評価すべき談話です。
談話で最も注目すべきは、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という一文です。この謝罪は昔から行われていたものではありません。
公式な場で日本が侵略戦争であると発言したのは1993年の細川内閣です。その2年後に誕生した村山内閣は談話を発表してアジア諸国に謝罪しました。約20年にわたる日本の謝罪外交と中国・韓国の執拗な要求はここからスタートしたことを知らなくてはいけません。
こういう談話は一度出てしまうと、これを直すのが困難を極めます。事実、日本は中国や韓国から今日に至るまで異常とも言えるほどの糾弾を受けるようになり、結果として日本の名誉と誇りは限りなく貶められ、傷つけられてきました。安倍首相の談話はこの謝罪外交に決着をつける画期的なものとなりました。
日本を侵略国家として断罪してきた根拠は、唯一東京裁判です。安倍首相は談話によって謝罪の元凶ともいえる東京裁判を否定した、という見方もできます。その点でも大いに評価に値します。
首相談話は、100年以上前の世界情勢から歴史を概観します。西洋諸国の植民地支配の中で日本は近代化に取り組み、アジアで最初の立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争では植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。これらは疑いようのない事実です。村山談話や小泉談話にはなかった、日本が誇るべきこれらの文言が盛り込まれたことには極めて大きな意義があります。
もう一つ、特筆すべきことを述べておきます。安倍談話には有識者会議の報告書にはなかった文言も随所に盛り込まれていました。例えば、戦後日本の発展を支えた諸外国の姿勢に感謝の意を表した次の一文です。
「私たちは、心に留めなければなりません。……米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれる事実を」
彼らが日本を訪れた時、戦死者のために慰霊を続ける場所。それこそがまさに靖國神社でした。旧日本軍の捕虜たちまでが日本を訪れて靖國神社を訪れたのです。安倍首相はここでも直接的な表現を避けつつも、暗に靖國神社参拝の意義を述べました。
首相談話を通して総じて思うのは、安倍首相は名実ともに大宰相の器を備えてきたということです。談話自体もさることながら、歴史に残る名文に仕上げたのはまさに安倍首相の卓越した見識に他なりません。安倍談話に対するマスコミや野党の批判は相変わらずですが、一方で国民の多くが談話を評価し、支持率も向上しました。
謝罪外交に終止符を打ち、日本を一方的に悪者と断じた「東京裁判史観」からの自由を明らかにしたこの安倍談話は大いに賞賛すべきですし、いずれその価値が分かる時が来ると私は確信しています。
※本稿は平成27年8月に弊社が発行した「昇一塾ニューズレター」の内容を編集したものです。