2023年12月号
特集
けいたいに勝てばきつなり
対談
  • JFEホールディングス名誉顧問數土文夫
  • 明治大学文学部教授齋藤 孝

『実語教』『童子教』
に学ぶ

日本人の勤勉精神を
育んだもの

長い歴史の中で子供たちのテキストとして読み続けられた『実語教』『童子教』という書物がある。とりわけ『実語教』は平安時代に生まれ、実に1,000年もの間、日本人の精神形成の支柱となってきた。両書を貫くもの、これがいまや日本人が忘れ去ろうとしている勤勉精神である。幼少期から『実語教』の教えに親しんできたJFEホールディングス名誉顧問・數土文夫氏と、弊社から『実語教』『童子教』の解説書を刊行している明治大学教授・齋藤孝氏に、その魅力や現代的な意義について語り合っていただいた。

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『学問のすゝめ』のベースとなった『実語教』

數土 私は齋藤先生の長年のファンで、ご著書も随分と拝読してきました。この混迷の時代に、『じつきょう』『どうきょう』にいま一度スポットを当てなくてはいけないと考えていたところ、こういう対談の機会をいただけて、とても嬉しく思っています。

齋藤 私も先生が執筆される『致知』の「巻頭の言葉」を読ませていただき、漢学の素養を生かしながら企業経営で多くの実績を積まれてきたことに大変敬服しているんです。そのように生きてこられた方は日本にはほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。ある意味、日本の精神文化を体現されてきたのが數土先生だというのが私の思いなんですね。

數土 尊敬する齋藤先生にそこまで言っていただいて光栄の至りです。先生が致知出版社から出された『実語教』『童子教』の本は私も大変興味深く読ませていただきましたけれども、この2つは日本人の精神文化に多くの影響を与えた大切な書物でありながら、いまその存在が知られていないことが私は残念でなりません。

齋藤 おっしゃる通りですね。私がぜひ本を出版したいと思った理由も実はそこにありました。『実語教』は平安時代末、『童子教』は鎌倉時代末と、それぞれ成立時期は違いますが、学びの大切さや礼儀作法、人との付き合い方など人間が生きる上での大切な知恵が簡潔な言葉で書かれていて、寺子屋教育などを通して日本人の間でずっと読み継がれてきました。特に『実語教』について私は「日本人1,000年の教科書」という言い方をしていいと思っています。

數土 なるほど。その通りですね。

齋藤 例えば、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という福沢諭吉の『学問のすゝめ』の冒頭の一節はあまりに有名ですが、その後に「されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり」とこの世の中にはせんや貧富の差があるという言葉が続いています。
そして、その理由について諭吉はこう述べているんです。
「『実語教』に、人学ばざれば智なし、智なき者はにんなりとあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり」
つまり
「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」
という言葉をもとに、賢い人と愚かな人の差は学ぶか学ばないかによって決まると言っているわけです。
『学問のすゝめ』は当時の大ベストセラーです。ということは、その前提である『実語教』の言葉も日本中の人たちに違和感なく受け止められたのではないでしょうか。

數土 『実語教』『童子教』の教えがそれだけ日本人の間で浸透していたということでもありますね。

JFEホールディングス名誉顧問

數土文夫

すど・ふみお

昭和16年富山県生まれ。39年北海道大学工学部冶金工学科を卒業後、川崎製鉄に入社。平成13年社長に就任。15年経営統合後の鉄鋼事業会社JFEスチールの初代社長となる。17年JFEホールディングス社長に就任。22年相談役。経済同友会副代表幹事や日本放送協会経営委員会委員長、東京電力会長などを歴任し、令和元年よりJFEホールディングス名誉顧問。新著に『徳望を磨くリーダーの実践訓』(致知出版社)。

『実語教』『童子教』の解説書に込めた思い

齋藤 數土先生はどのようなきっかけで『実語教』『童子教』に関心を抱くようになられたのですか。

數土 小学5、6年生の頃でしたか、戦前に出された平凡社の『大百科事典』が我が家にあり、その中にあった『実語教』の原文と読み下し文、解説を読んだんです。父が漢文の教師で、「玉磨かざれば光無し。人間を磨かなかったら石やかわらと一緒だぞ」と時折、しかられていたのですが、これが『実語教』にある言葉だったんですね。先ほどの「人学ばざれば智なし」というのも最初は両親から叱られる中で覚えた言葉でした。
ただ、お恥ずかしいことに、私は大学生になるまで『実語教』とついのように読まれてきた『童子教』のことを知りませんでした。学べ、学べと人間の向上心をどこまでも後押ししてくれる『実語教』に対して、『童子教』は生きていく知恵はもちろん説かれていますが、どこか人間の無常観、来世信仰の要素もありますでしょう。

齋藤
しょうの命は無常なり、早くねがうべきははんなり」
と教えられても早過ぎですね(笑)。

數土 だから最初は違和感を覚え、私には『実語教』のほうがよりしっくりきたんです。

齋藤 私の場合、數土先生のように早い出合いではなく、教育学を専攻した大学院時代に、江戸期の寺子屋教育に興味を抱いたのが、そもそものきっかけでした。「寺子屋はどういうテキストを用いていたのだろう」「ああいう高度な教育がどうして日本でできたのだろう」という疑問を抱きながら研究を進めていくうちに『実語教』『童子教』、『金言童子教』(江戸中期の学者・かつすけよしが子供たちのために新たにへんさんした金言集)に触れて、そのレベルの高さに教育研究者として感銘を受けたんです。
一方、現代の国語教科書はあまりにやさしい言葉で書かれ過ぎていて、日本語力の低下という意味でも不安を抱いていました。それで、格調が高く、しかも分かりやすい言葉に触れてもらいたくて『子どもと声に出して読みたい「実語教」』『子どもと声に出して読みたい「童子教」』という本を致知出版社から出させていただきました。

數土 いや、いまの時代、このような本が世に出ることは大変意義があることで、ヒット中のヒットではないかと私は思っています。

明治大学文学部教授

齋藤 孝

さいとう・たかし

昭和35年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て、現在明治大学文学部教授。著書に『子どもと声に出して読みたい「実語教」』『子どもと声に出して読みたい「童子教」』『齋藤孝のこくご教科書 小学一年生』『国語の力がグングン伸びる1分間速音読ドリル』『心を軽やかにする小林一茶名句百選』(いずれも致知出版社)など多数。