2026年5月号
特集
人を育てる
一人称
  • 元刑務官・第42代横浜刑務所長亀井史巠

体験的教育論
「我が矯正きょうせい人生」

――Sとの出会いが教えてくれたこと

亀井史巠氏は広島市に居住する元刑務官。85歳。38年間の矯正人生を通して多くの犯罪者を更生へと導いてきた。ここで紹介するSもその一人である。処遇に携わった亀井氏自身が「生きた鬼」と形容し、「生きた鬼に出会ったのは後にも先にもない」と語るほど狂暴だったSは、亀井氏との出会いによって驚くほどの変化を遂げていく。亀井氏はどのような思いでSに向き合ったのか。命を賭した氏の実話は、人を育てる上での要諦を見事に説き尽くすものである。

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    元刑務官・第42代横浜刑務所長

    亀井史巠

    かめい・ふみひろ

    昭和15年広島県生まれ。37年刑務官を拝命。佐世保刑務所長、横浜刑務所総務部長、福岡矯正管区第二部長、横浜刑務所長などを歴任し平成12年に退職。現在広島県安佐北警察署協議会会長。30年瑞宝小綬章受章。

    人生の道標となった「三勤」の教え

    私が横浜刑務所長を最後に、38年間に及ぶ刑務官としての仕事に終止符を打ったのは平成12年のことでした。この間、多くの受刑者を更生に導くために力を尽くしてきましたが、改めて振り返ると、刑務官の仕事を選び、その道を歩いてきたことが自分でも不思議でならないのです。今日までの85年の人生も、何かを自分の意思で計画し、実行してきたという意識はありません。

    まさにその時、その時、よき人たちとの出会いによって運命が運ばれてきたというのが実感であり、それはもしかしたら人智を超えた大いなる働きによるものなのかもしれません。これからお伝えする私の体験談が、いささかでも皆様の人生のお役に立つとしたなら、『致知』を愛読する者の一人としてこれ以上の喜びはありません。

    私は昭和15年、現在の広島県やまがたぐんおおちょうしゃに、下半身不随の父親と片目を失明した母親のもとに生まれました。

    父親は五体満足に誕生し、尋常小学校を出ると大工見習いとなりました。その頃、目の当たりにした新築の地鎮祭の様子は父の人生を決定づけるものとなりました。

    「この世の中で事業を始める時、神様をおまつりする心、感謝する心を持ち、皆を幸せにしようという思いで始めれば、結果は必ずよきほうに向いてくる」という少年期の気づきは、父のしんとうへの目覚めをうながすものでもあったのです。

    その頃から父は「人は大神様に生かされて生きている。我が命は大神様からの授かりもの」という感謝の念を忘れずに生活することを強く意識するようになりました。やがて「祝詞のりとの書けるとうりょうとなり、精魂を込めた地鎮祭を行いたい」との思いから、忙しい大工仕事のかたわら神道の勉強を始めるのです。

    しかし、21歳の時にリウマチを発症、下半身不随の重度身体しょうがいしゃになってしまいました。闘病生活は約10年に及びましたが、その試練はさらに深い信仰へと父を導き、日々の必死の祈りが聞き入れられたのか、家の中では両腕で上体を支えて動き回るなど日常生活はほぼ自力でできるまでに回復したのですから、奇跡と言ってよいかもしれません。

    父は下半身不随でもできる仕事として番傘や提灯ちょうちんなどの製造を手掛けるようになり、一方で「いただいた命が尽きるまで世のため人のために尽くしたい」と使命感を奮い立たせて、神職の資格を取るための勉強を本格的に始め、ついにその資格を得て人々の救済に力を入れるようになりました。

    「人間は皆、それぞれの分野で果たすべき責任(使命)を背負ってこの世に生まれている」という確信を得た父は地域の人々をとても大切にし、社会の隅で苦しみ悲しむ人たちがいつも我が家を訪れては、涙ながらに父に相談していた姿を子供心に覚えています。

    その父が人生の指針としていたのが、出雲いずもきょうの祝詞の一節でした。
    せい

    さんきん

    一、信義を以て人に交わり広く隣人をいつくしむ事

    二、事にあたりて和を思い謙譲をむねとする事

    三、常にしんめいしょうらんかしこみていんとくを積む事
    父はこの言葉をそのごとく実践するばかりか、5人の子供たちにも教えてくれました。その教えは私の魂にも深く浸透し、いつの頃からかこの言葉を信条として人生を歩んできたように思います。