2025年6月号
特集
読書立国
対談
  • JFEホールディングス名誉顧問數土文夫
  • 明治大学文学部教授齋藤 孝

読書立国への道

日本人の読書離れが叫ばれて久しい。JFEホールディングス名誉顧問の數土文夫氏と、明治大学文学部教授の齋藤孝氏は、共にこの現実に警鐘を鳴らし続けてこられた。深刻な日本の現状を直視し、お互いの読書体験を振り返る中で見えてきたのは、先人の書の持つ偉大な力と、精神文化を継承していくことの重要性である。日本再生の鍵ともいえる読書立国への道とはどのようにして拓かれるのか。

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読書量の差はそのまま語彙力や思考力の差

齋藤 數土すど先生、お久しぶりです。先生と『致知』で対談するのは2023年に『実語教じつごきょう』『童子教どうじきょう』について語り合って以来ですね。 先生は戦前の精神文化を受け継いでこられた世代だと思いますが、私は学生たちが文学や哲学、芸術を学んでは語り合って青春を謳歌おうかしていた旧制高校の文化に若い頃からずっと憧れを抱いていました。教養豊かな先生を通して、その時代の空気のようなものを感じるんです。

數土 折に触れて読書について啓発されている齋藤先生を私はとても敬愛していますから、そう言っていただいて恐縮します。
ところで、きょうの対談のテーマは「読書立国」ということですが、これはなかなか難しいテーマですね。読書は国づくりの根幹であることを私はいつも痛感しているのですが、日本人の間で本を読むという習慣がいまやすっかり失われてしまった感があります。

齋藤 ええ。とても残念なことですよね。

數土 よく「失われた30年、40年」と言われますでしょう。私はそうなってしまった原因の一つは日本人が読書をしなくなったことにあると思っているんです。経済と読書に何の関係があるのかと思う人もいるでしょうが、これは決して無関係ではありません。
明治時代、日本は列強の植民地になることなく、維新から約20年後には大国・しんと戦争して勝つくらいの国際的な地位を占めました。それを可能にしたのは、当時日本に来ていた外国人が驚いたほどの識字率の高さなんです。江戸後期、至る所に貸本屋があって庶民の識字率は80%に上っていたといわれます。当時、ロンドンの識字率は20%に満たず、フランスに至っては10%だったことを考えると日本は格段に高かった。
識字率が高いことは、政治が隅々にまで行き渡り、新しい情報を共有できることを意味します。また、お互いに負けないように学び合って切磋琢磨せっさたくましていく風土もそこで育まれたわけです。
一方、これは齋藤先生の前で恐縮ですけれども、いまの大学生はちゃんとした本を1年に1冊も読まないというじゃないですか。それでも世の中、渡っていけると思っている。人生100年時代と言われるこの時代に、読書をせずに人生を乗り切っていけると感じているところに私は日本の危うさを感じずにはおれませんね。
しかも、それが学生だけではないんです。政治家、官僚、学者から一般庶民に至るまで共通して本を読まなくなってしまった。
読書の素晴らしさや重要性を一貫して伝えてこられた齋藤先生は、きっとこの現状を深くうれえていらっしゃると思うのですが、いかがですか。

齋藤 いや、おっしゃる通りですね。例えば、大学生に何かスピーチをしてもらって一分くらい聞いていると、その学生の読書量がおおよそ分かるんですね。話の中に読書をして得られる語彙ごいが含まれている学生とそうでない学生がいて、話し言葉だけでは、どうしても思考が限られて浅くなってしまう気がします。

気持ちを表現するのに、読書をしていると「暗澹あんたんたる」といった書き言葉で用いられる表現も自然に出てきます。読書量の差はそのまま語彙力や思考力の差であることは間違いないでしょうね。

JFEホールディングス名誉顧問

數土文夫

すど・ふみお

昭和16年富山県生まれ。39年北海道大学工学部卒業後、川崎製鉄入社。常務、副社長などを経て、平成13 年社長に就任。15年経営統合後の鉄鋼事業会社JFEスチールの初代社長となる。17年JFEホールディングス社長に就任。経済同友会副代表幹事、日本放送協会経営委員会委員長、東京電力会長を歴任し、令和元年より現職。著書に『徳望を磨くリーダーの実践訓』(致知出版社)。

精神文化の継承なくして心は安定しない

齋藤 日本人の読書離れは、電車の中で皆、スマホばかりを見て、本を読んでいる人がほとんどいないことにも現れていますね。もちろん、スマホでも情報は得られますが、読書とは質が違うと思うんです。思考を深められないというのか、何か浅瀬をずっと移動しているかのような感じがします。
読書をするには著者の深い思考に寄り添う素直さのようなものも必要ですし、素直な心で深さに触れることは読書の醍醐味だいごみです。移りゆく情報に気を取られてしまうスマホでは、その醍醐味は得られないでしょう。
特に最近では、文字を読むよりは楽な動画、しかもTikTokティックトック のような何十秒かで見終わるような短い動画が流行し、立ち止まって深く思考する、沈潜ちんせんすることをあまり好まない風潮が定着しつつある。私はそのことにとても危機感を抱きますね。

數土 江戸時代は、滝沢馬琴ばきんの『南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん』のような長編を皆、読んでいました。次の展開はどうなるだろう、自分が主人公だったらどうするだろうと胸を弾ませながら読んでいた。ところが、いまのスマホで得られるのは瞬間的な感覚、心地よさだけです。これでは脳の深部が鍛えられるわけがないんです。えさがあったら餌に飛びつき、飼い主が来たら飼い主に尻尾を振る犬や猫とあまり変わらないと私は思いますね。
それに、スマホが普及するようになって、人はとにかく結論を早く求めるようになりました。テレビでも、司会者が相手の発言をさえぎって自分の意見を先に言おうとする。これは何としたことかと。もともとの日本人の性情から考えても、あり得ないことです。

齋藤 人がスマホで何を見ているかというと、食べ物の情報が多いですよね。食文化を大切にするという意味でいいことだとは思いますが、活字文化とは質が違います。それから見た目をいかによくするかという情報がものすごく多い。他によく見られているのはその時々のニュースなどで、これら浅瀬のような情報によって日本人の脳の多くが埋められていることは確かに否定できません。
私は精神文化を継承することを中心にえた生活でなければ、心は安定しにくいと思うんです。精神文化というものは本に込められています。キリスト教の精神文化は『聖書』に、儒教の精神文化は『論語』や『孟子もうし』などに集約されていて、それを読み込むことで自分がその一部となり、精神文化に支えられている実感を得る。
いま心が折れやすい人が増えているといわれますが、その原因は精神文化の継承ができていないことにあるのではないでしょうか。

數土 特に21世紀になってから日本人の精神は退化してきました。テレビで聞く発言も「うわー」とか「すごい」とか「うま」とか、感嘆詞がものすごく多い。ここはテレビ局自身が数値解析を使っていかに感嘆詞が多いかを知って、自戒しなくては駄目ですよ。歯止めをかけないと、日本人はますます動物化してしまいます。
齋藤先生は「精神文化を継承することが中心にある生活でなければ、心は安定しにくい」とおっしゃいましたが、感嘆詞だけで心の安定が得られるはずがありません。 また、感嘆詞ではありませんが、政治家でも「誠実に」「きっちりと」「しっかりと」という常套句じょうとうくがとても多くなってきている。いくら思い入れたっぷりに語っても、常套句にはインテリジェンスはまったく感じられません。常套句ばかり連発する人は本当の政治家にはなれないとさえ思いますね。

齋藤 いまおっしゃったインテリジェンスと直結しているのが読書なんですね。見方を変えると、読書をせずにインテリジェンスをはぐくむのはとても難しい。足で書物を踏むことができないのは、本は著者の人格そのものだからです。その高い認識に基づいた文章を、長時間にわたって素直に聞くという読書のあり方が知性につながるのだと思います。
それに、読書を通して著者の話をきっちりと意味を取るように聞き続けることで、物事に柔軟に対応する素直さも鍛えられる。読書を続けると、自分とは違う意見も当然本の中に出てくるわけで、多くの書物に触れることは、実生活の上で相手と違う意見をいったん受け入れる訓練にもなるんです。

明治大学文学部教授

齋藤 孝

さいとう・たかし

昭和35年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て、現在明治大学文学部教授。著書に『国語の力がグングン伸びる1分間速音読ドリル』『齋藤孝の小学国語教科書全学年・決定版』『人生がさらに面白くなる60歳からの実語教/童子教』(いずれも致知出版社)など多数。