2026年3月号
特集
是の処即ち
是れ道場
対談
  • 日本経営ホールディングス名誉会長小池由久
  • シンク・アイ ホールディングスCEO京谷忠幸

倒れても、
また歩き出せる

ここに幾多の試練に直面しながらも、七転八起の精神で絶望の淵から立ち上がってきた2人の経営者がいる。調剤薬局事業や介護事業をはじめとした事業の多角化を図り、日本経営ホールディングスを日本を代表する会計事務所グループに育て上げた小池由久氏。9歳で父を、16歳で母を亡くす波瀾万丈な少年時代を過ごし、裸一貫で創業した会社を半導体・エレクトロニクス分野で100億円企業に迫る躍進へと導いた京谷忠幸氏。共に自らの運命を力強く開いてきたお2人の実践を通して、人生・仕事の神髄が見えてくる。

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    日本経営ホールディングス名誉会長

    小池由久

    こいけ・よしひさ

    昭和29年岐阜県生まれ。高校卒業後、47年会計事務所(現・日本経営)に入社。平成8年社長に就任。19年会長を経て、27年名誉会長に就任。調剤薬局チェーン・サエラ会長、社会福祉法人ウエル清光会理事長も兼任。令和4年より全国社内木鶏経営者会会長を務め、社内木鶏会の普及による組織の発展にも精力的に取り組んでいる。

    シンク・アイ ホールディングスCEO

    京谷忠幸

    きょうたに・ただゆき

    昭和37年福岡県生まれ。国立久留米工業高等専門学校高校課程修了後、会社員を経て平成3年ピーエムティーを設立。令和2年シンク・アイ ホールディングスを設立しグループ8社の代表も務める。経営の傍ら山口大学大学院に学び技術経営研究科、理工学部博士課程修了。博士(学術)。著書に『倒れても、また歩き出せる』(致知出版社)。

    人は役割に生き、感謝して死ぬ

    京谷 小池さん、きょうはよろしくお願いします。4年前に『致知』で盛和塾生の座談会にご一緒させていただき、今回は対談ということでとても楽しみにしていました。

    小池 こちらこそ。壮絶な半生がせきつづられた京谷さんの新著『倒れても、また歩き出せる』(致知出版社)も大変興味深く読ませていただきました。

    京谷 ありがとうございます。

    小池 京谷さんとは稲盛和夫塾長が経営者の勉強会として立ち上げられた盛和塾せいわじゅくを通じて、20年近いお付き合いになります。出逢った頃から青年将校のようで、物事にしんに向き合われています。親しくさせていただく中で常々、「この人格はどうやって育まれたのだろう」と思っていました。
    以前からお若い頃のご苦労は存じていましたけど、今回本書を読み終えた時、若くして亡くなられたご両親が京谷さんの心の中でいまも脈々と生きていらっしゃるんだなと、深く感じ入った次第です。

    京谷 恐れ入ります。実は、本を出版する大きなきっかけは2022年10月、60歳の時にすい臓にしゅようが見つかったことです。
    『致知』の座談会から2か月後に病室で横たわっているとは思いもしませんでした。すい臓がんの5年生存率はステージⅠで49%、ステージⅡで28%。その狭間はざまと告げられた私は35%ほどだろうと。毎晩のように吐き気と高熱に襲われ、病室の天井を見上げながら「なぜいま私なのか」「もし明日目を覚まさなかったら」と、未来を失う恐怖感にさいなまれました。

    小池 想像を絶します。

    京谷 けれど、この大病を機に立ち止まって半生をゆっくり振り返ったり、稲盛塾長や先達は何を、なぜ遺そうとされたのかを探し求めたりすることができました。
    その中で得た気づきが大きく2つありまして、1つは「人は役割に生き、感謝して死ぬ」ということ。感謝を求めるのではなく、ただただ「ありがとう」と言って死ねればいいと。もう1つは、ガンジーの言葉で知られる「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのごとく学ぶ」ということです。
    私は青年期から人としてどうあるべきかを示す「りょう」と絶えず対話してきました。誰もが持つ心の良知の泉が枯れてしまえば、人間性を失ってしまう。だからこそ、ここを生き永らえたなら、生かされた命は地域の子供たちの良知を枯らさないために、後進の育成と恩送りに捧げようと誓ったんです。

    小池 闘病を機に進むべき方向が明確になった。

    京谷 幸い、手術は無事成功しました。病状も奇跡的に回復しましたが、主治医には「すい臓がんにかんかいはない」と言われました。
    それで一般財団をつくり、さらに学校教育の支援やボランティアに積極的に取り組んでいたところ、2025年10月の旧盛和塾生による「心を高める経営を伸ばす世界大会」の経営体験発表に選ばれましてね。以前致知出版社の藤尾社長に生い立ちをお話しした際、「本を出したら?」とおっしゃっていただいたこともフラッシュバックし、私の体験を伝えることで世の中の役に立てるのではないかと、出版に挑戦する運びとなりました。
    脚色した言葉ではなく、私が何を感じ、何を考え行動していたのかを正確に伝えたいと思ったので相当な時間を費やしましたけど、自分の人生を1冊にまとめることができ、感謝しかありません。

    小池 本書は心の移ろいが分かりやすく表現されていて、グッとき込まれる。まるで小説を読んでいるような感覚を抱きました。いまのお話をお聞きし、一文一文に京谷さんのただならぬ思いが詰まっているんだなとに落ちましたよ。

    京谷 そう言っていただけて、報われた思いです。本はすぐ両親の仏壇に上げ、お世話になった方々にもお渡ししました。熱いメッセージが次々と届き、人の温かみに支えられて命のバトンがつながっていることを強く実感しています。

    9歳で父を16歳で母を亡くす

    小池 本書を読んで改めて京谷さんの生い立ちに触れ、よくつぶれずに試練を乗り越えてこられたものだと思いました。もし私が同じ境遇なら、京谷さんのようには生きられなかったでしょう。

    京谷 福岡で生まれ育った私の最初の試練は、9歳で父が亡くなったことです。幼かったので父に関する記憶はほとんどないんですけど、建設現場で働く職人として毎日土やコンクリートにまみれながら体を動かし、家に帰ってくるや否や田畑に向かって黙々とくわを振るう。朝から晩まで働く父の姿だけは脳裏にこびりついています。
    そんな父が胃がんで亡くなってからは、私と2歳下の弟を食べさせるために、母が昼夜問わず働いていました。昼はレストラン、夜はスナックに勤め、合間には袋から部品を取り出し、プラスチックの玩具を組み立てる内職をする。働き詰めの母の代わりに、私が学校から家に帰れば掃除と洗濯をして、弟と一緒に夕食を買いに行くのが日課でした。母の背中をいつも見ていましたから、知らず知らずの間に努力することが当たり前になったように思います。

    小池 働き者のご両親が京谷さんの人格形成のベースなのですね。

    京谷 ええ。母を喜ばせたい、楽にさせてあげたいという思いがすべての原点です。小学4年生の頃からは新聞配達を始め、どうすれば早く、正確に配れるかを考えることが楽しかったですね。
    そうして配達を続けるうちに、県営住宅団地で初めて「生活保護」という言葉を耳にしました。気になって母に「どうして生活保護を受けんと?」と尋ねたら、少し間を置いてこう言ったんです。
    「忠幸たちが幸せな結婚もいい就職もできなくなるから」
    当時はその言葉の真意は分かりませんでしたけど、母の震えた声と固く結ばれた唇は鮮明に覚えています。子供にみじめな思いをさせたくない。この母の強さが、私にとっての一番の誇りでした。

    小池 お母様の深い愛情が伝わってきます。

    京谷 中学生になると新聞配達に加え、生徒会長、サッカーを頑張っていました。しかし、中学2年になる頃に母が十二指腸がんの末期と診断されまして……。やむなく生活保護を受けたものの、高校には行けないなと。「自分は何のために勉強しているのだろう」と無気力になり、中学3年の夏休みの宿題はすべて白紙で出しました。
    救いになったのは、返済減免の奨学金試験に合格し、国立高専に行けば学費と寮費が免除されるという話を先生から聞いたことです。母も背中を押してくれたので、10月から猛勉強を開始しました。
    参考書を買う余裕はありませんから、卒業した先輩に片っ端から声を掛けて手に入れる。放課後は職員室に毎日通い、分からない問題にぶつかる度にそばの先生を捕まえて教えてもらいました。

    小池 執念がすさまじい。

    京谷 やると決めれば、自然と知恵は湧いてくるんですよね。4か月必死で勉学に励み、久留米高専に進学することができたんです。
    ところが、高校1年の辺りから母の容態が悪化し、16歳の時にとうとう亡くなってしまいました。

    父親亡き後、女手一つで家計を支えた京谷氏のお母様