2021年7月号
特集
一灯破闇
対談
  • (左)京都大学名誉教授中西輝政
  • (右)国家基本問題研究所理事長櫻井よしこ

日本を照らす光はあるか

この闇を破る道筋

新型コロナウイルスのパンデミックは、高度な先端技術と豊かな経済力を誇る我が国の脆さ、危機管理力の欠如を浮き彫りにした。一方、国際社会に目を転じれば、コロナ禍にあってアメリカやヨーロッパ諸国を中心に中国包囲網が形成されるなど自由民主主義社会の結束が一段と高まっている。そういう激変の中で日本はどういう役目を果たせばいいのか。世界、そして日本の闇を破る一灯はあるのか。大局的視野で時流を捉える櫻井よしこ、中西輝政両氏に語り合っていただいた。

この記事は約28分でお読みいただけます

日本は真っ当な自立国ではなかった

中西 世界的なコロナが1年以上続いているわけですが、この現実は単なる感染症蔓延まんえんに留まらず、様々な問題をあぶり出したことも確かですね。

櫻井 ええ。その1つはこのコロナ禍によって日本が真っ当な自立国ではないことが明らかになったことです。日本は先進国で技術水準が高い、お金も潤沢で他の国々より何事も効率よく推進できるというイメージを日本人自身が持っていたわけですが、いざふたを開けたらワクチンがない、少しばかり入ってきても接種の順番が決められずに皆が先を争って申し込まなければならない、というように、国家としてのていをなしていなかったことに気づかされたと思います。
昨年、安倍政権時代に緊急事態宣言が出されましたが、他の国と違って行政当局には命令権もなければ罰則を科すこともできない。政府や自治体はひたすら国民にお願いするより他ありませんでした。このように組織も法体系も、通常の国の形が、何もかもできていなかったんです。

先日、東京・港区に住む私のところにもワクチン接種の案内がありました。区内の65歳以上の人は4万5,000人。そこに1,000回分のワクチン、1人2回分ですから500人分のワクチンが入ってきたというお知らせでした。

中西 4万5,000人の地域に500人分ですか。

櫻井 はい。これから徐々にもっと大量のワクチンが入荷する予定とはいえ、第1段階の実情に、これが首都・東京のど真ん中の港区で起きていることだと知って私は唖然あぜんとしたわけです。あくまでも現段階の話ですが、日本のワクチン普及率はアフリカのジンバブエと同じくらいだと聞きました。いざという時に何もできない国になり果てているなというのが、このコロナ禍から見た日本の姿でした。

中西 まったく同感ですね。私は日本がいろいろな面で国家としての備えをおろそかにしてきたことを長年一貫して指摘してきましたが、今回のコロナ禍における日本の対応を通して「戦後国家の破綻はたん」という言葉がまず頭に浮かびました。
これは憲法の問題などいろいろな観点で議論できるでしょうが、私なりに思うのは諸外国と比べて、いまの日本はプライバシーが過剰に尊重され、それが大きなネックになっているという現実です。日本国民の健康・安全をおびやかすほどの過剰なプライバシー保護に、政府も自治体もメディアも皆、右にならえを決め込んでいる。これは憲法を云々うんぬんする以前の問題です。

櫻井 その通りですね。

中西 自由や人権を手にしたばかりの戦後の日本でも、ここまで極端なことはありませんでした。基本的人権を定めた憲法の条項には、「公共の福祉」による制約をはっきり認めているわけですが、それでも私権制限に全く踏み込めない、いまの現状はやはり異常だと感じています。

国家基本問題研究所理事長

櫻井よしこ

さくらい・よしこ

ベトナム生まれ。ハワイ州立大学歴史学部卒業後、「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局勤務。日本テレビニュースキャスター等を経て、現在はフリージャーナリスト。平成19年「国家基本問題研究所」を設立し、理事長に就任。23年日本再生に向けた精力的な言論活動が評価され、第26回正論大賞受賞。24年インターネット配信の「言論テレビ」創設、若い世代への情報発信に取り組む。著書多数。最新刊に『赤い日本』(産経新聞出版)がある。

瓦礫の車を処分できなかった理由

櫻井 私権を制限することに極度に臆病おくびょうという点について、3・11(東日本大震災)の体験からも同じことが言えますね。当時の民主党政権は災害対策基本法など既存の法律でこの危機に対処することを決め、憲法を改正して緊急事態条項を盛り込む必要はないと結論づけました。
その結果どうなったかといえば、例えば大津波で大変な量の瓦礫がれきが出て、片づけなくてはいけないという時、つぶれた車も私有財産なので持ち主の許可を得なくては勝手に処分してはいけない、後で訴訟になる、と地方自治体の首長は皆尻込みをしてしまいました。本当に信じられないような話ですが、瓦礫となった車を動かすことすらできなかったんです。

一方、これは仙台空港の例です。飛行機まで水浸しになって流されたのですが、その他の瓦礫を含めてアメリカ軍が1週間で片づけて飛行機が離発着できるようにしました。空港が使えるようになって、物資を被災地に供給する拠点として機能し始めました。なぜそれができたのかといえば、米軍は日本の細かい法律を無視して一気に事態に対応したからです。
緊急事態条項を憲法に盛り込むべきだという議論はこの大震災の時からありました。しかし、いざ瓦礫が片づくと、喉元のどもと過ぎれば熱さを忘れるという日本人の悪いくせで、そのことはすっかり忘れ去られました。もし、10年前に国会が動いてくれていたら、今回のように緊急事態宣言をして命令もできない、罰則も科せられないという事態は避けられたのではないかと思います。

中西 まさに3・11以降の「失われた10年」と言うべきでしょうね。私もこの10年の間、憲法改正にもっと早く着手すべきだったと思ってきました。実際、いま日本人の間では「コロナ禍が一段落したら直ちに改正に着手しなくてはいけない」というコンセンサスのようなものが、声なき声として広がっていると感じています。
加えてこの緊急事態下、たとえすぐに憲法を変えることは難しいとしても、私権制限をする上での免責条項など何本かの時限立法の法律を通すだけでも状況は確実に変わるのではないでしょうか。

京都大学名誉教授

中西輝政

なかにし・てるまさ

昭和22年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。英国ケンブリッジ大学歴史学部大学院修了。京都大学助手、三重大学助教授、米国スタンフォード大学客員研究員、静岡県立大学教授を経て、京都大学大学院教授。平成24年退官。専攻は国際政治学、国際関係史、文明史。著書に『国民の覚悟』『賢国への道』(共に致知出版社)『大英帝国衰亡史』(PHP文庫)『アメリカ外交の魂』(文春学藝ライブラリー)『帝国としての中国』(東洋経済新報社)、近編著に『アジアをめぐる大国興亡史』(PHP研究所)他多数。